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ブログ本文中の単語抜けについて。

先日から再開したブログについて、
ブログ本文の所々で単語が抜けており、意味がよくわからないところがある。という指摘を戴いた。
確かに、ある種のブラウザ、それも広告のたぐいを表示させないように設定を施したり、広告を非表示にするアプリを入れている方の中には、本文が

『私にできることは、それを文章で描き出し、「●●」として渡すことだけなのだ。』
『同じように○○を、どう動かせば◎◎のか、どう描けば見ている人間の琴線をくすぐるのか、という蓄積もある。』

のように文の中の「●●」 「○○」 「◎◎」の部分に入るべき単語が抜けて表示されている方がいると思う。
「●●」には「小説」
「○○」には「女の子」
「◎◎」には「可愛い」
 という単語がそれぞれ書かれているのだが、この部分だけが「  」のような空白ではなく、完全に無いもの、つまり「脱字」として表示されているのだ。

実を言うと私のブラウザ画面もそうやって表示されている。

これはソネットのブログにある「広告ワードの自動リンク機能」によるものである。

つまり、ブログを書くと、ソネットがその文章の中から勝手に単語を抜き出し、その単語に応じた広告をリンクするという機能である。

設定で消しても「入力されない場合はこっちで選びます」ということで、勝手に抜き出され、広告とリンクをされてしまう。
 「広告設定で停止できます」ということで、停止設定を選択しても、私のブラウザのように「アドストップ」のようなアプリを入れていると、リンクを張っているとみなされて、表示されない。

 念の為に記しておくが、私はソネットのファミリー会員であり、きっちり家族分の会費を払っている。言わばお金を払ってこのブログを使うユーザーであり、無料ユーザーではない。

 そういう仕様なのだから、それに従わざるを得ないことは重々承知しているが、会費を払った上でさらに広告の片棒を担がねばならない、それも、私のあずかり知らぬ単語を勝手に抽出されて、自分の書いた文章に勝手にリンクを貼って広告を表示することを求めたつもりはない。

 この「自分の知らないところで、自分の文章が利用されている」ということの気分の悪さは、文章で食っていく身であるがゆえに感じることであって、私以外は、この機能を便利だとお考えになっているのかもしれないので、これはあくまでも、私の個人的な「気分の悪さ」であることを記しておく。

 


スキルの蓄積とは

昨日の記事で、さらっと流した「蓄積」という言葉について、少し補足しておこうと思う。

私は昨日の記事の中で「蓄積がない」と書いたが、それを「経験値」と言い換えたほうが良かったかもしれない。
実写、アニメに関わらず、映像関係の表現方法には「見せ方」というものがある。

「見せ方」というのは、描き出したい事象をどう映像にするのか、そのカメラアングルや、絵の動かし方の総称であり、アニメで言うところの演出の方が担当する部分でもある。

 この作業は、言わば映像化する際の肝の部分であり、文章で書かれたシナリオを、絵にするというのは、誰にでもできるわけではない。それには特別な才能を必要とするのだ。

 カメラを引くのか,寄るのか、俯瞰で描くのか、ローアングルで迫力を出すのか。
 それは、その物語をどう描くのか、という意志によって決まり、技巧によって成立する。
 そして、その技巧は、経験によって積み重なって行く。

 時代劇を例に取って説明するとわかりやすいかもしれない。かつて「東映時代劇」と呼ばれた一ジャンルがあった。
 時代劇映画は戦前戦後を通じて人気ジャンルであり、数えきれないほどの時代劇が製作され、コメディタッチからシリアスな作品まで、様々な技法が凝らされ、一種の様式美と言っても良いほどの類型パターンが作られた。
 
 例えば、時代劇で「果たし合い」を描くとする。
 演出家の脳内には、過去の時代劇で「果たし合い」が、どう描かれてきたのか、という蓄積がある。
 全く何もない所からひねり出すのではなく、過去の作例をたたき台にして、その上に自分なりの描き方を乗せることができる、ということのメリットは大きい。
 何よりも、脳内のコストが違う。
 過去に誰も映像化しなかった概念を、新しく映像として創り出せ、と言われたら、必死に考え、試行錯誤を繰り返し、それでも、作れるかどうかわからない。その不安と重圧に比べれば、過去の作品という名前の下敷きがあるというのは、本当に楽である。

 過去に経験の無い所から、何かを創り出せと言われても簡単に作れるものではない。
 
 余談であるが、スタンリー・キューブリックが映画「2001年宇宙の旅」を撮影する前に、生物学者を集めて
「過去に地球上に存在した生物の特徴を持たない、全く新しい生物のビジュアルを考えてくれ」と頼んだが、誰ひとりとしてその生物を思いつけなかった。という話がある。

 この話の出典は明らかではないし、私の思い違いかもしれないので、このエピソードの信憑性は無いが。このエピソードがそれなりの説得力を持っているのは、人間の発想は過去に得た知識の蓄積の中からしか生まれない。という真理を表しているからではないか、と私は考える。

 そして話は昨日の記事に戻る。

 ロボットやモビルスーツを、どう動かせばカッコイイのか、どう描けば見ている人間の琴線をくすぐるのか、という蓄積はある。
 同じように女の子を、どう動かせば可愛いのか、どう描けば見ている人間の琴線をくすぐるのか、という蓄積もある。

 しかし、「合戦をどう描くか」に関しては、その蓄積がないのだ。
 誰も、そんなシチュエーションを描こうとしてこなかったし、描く必要もなかったのだ。だから、描こうとしても方法論も技法も確立していない。もし、苦心惨憺して映像化したとしても、果たして売れるかどうかもわからない。今の映像業界で、そんなリスクを負う人間はいないだろう。

 以上、証明終わり。(笑

 というわけで、私は高望みをせずに、自分のできることをできる範囲で続けていこうと思っている。
 脳内妄想を他人に読んでもらえることは、光栄の至りなのだから。


「合戦」を描くということ。

「宇宙軍士官学校・10」が発売されて5日ほど過ぎた。31日には電子書籍版も配信されるらしい。
ツィッターなどで感想を検索すると、そこそこ評判も良さそうなので少し安心した。

 そこそこ評判もよく、ドカン、とまでは行かないが、そこそこ売れているとはいえ、あいも変わらずメディアミックスとは無縁であり、中堅と言えば聞こえはいいが、いわゆる「知る人ぞ知る」レベルの作家業である。
 まあ、人間何よりも大切なのは「身の程を知る」ことであり、現状に不満を抱いても、それが自分の努力ではどうにもならないのなら、下手な望みは持たない方がいいのである。

 メディアミックス、特にアニメについては、業界に結構知り合いがいるので、色々話をすることもあるのだが、今のアニメの制作側からの視点で自分の作品を見れば、これほど「美味しくない」コンテンツは、珍しい。

 まず「ネームバリュー」が無い。作家もそうだが、作品に客を惹きつけるものがない。
 二次創作で盛り上がる気配もなければ、熱狂的に支持してDVDを買ってくれそうなファンもいない。どう見ても投下した資本を回収できそうにない。

 また、コンテンツの内容も、作画や演出に苦労しそうな大軍勢の合戦とか、大艦隊とか、動かすのに手間のかかるものばかり出てくる。
 メカならCGでなんとかなるとしても、山猫姫のような人間同士の合戦シーンを描くには、絵を描く側にそれなりの蓄積が必要だが、それなりの腕のある原画家や作画監督を使うには、マイナーすぎて、資本を投下するにはリスクが大きすぎる。
「合戦シーン」をどう描くか。というのは、アニメで言うところの「コンテを切る」部分である。
 
私が「合戦シーン」のコンテの完成形を見たのは、マンガ版「風の谷のナウシカ」の帝国軍の騎兵隊が立て籠もった城塞を土鬼(ドルク)の大部隊が攻城砲を並べて包囲している中を、クシャナ率いる騎兵隊が敵中突破して攻城砲を破壊するエピソードのコマ割である

 あの一冊は、なんというか、こう、鬼気迫るものがある。宮崎さんが本当にやりたかったことは、あの合戦シーンではなかったのか。と思わせる力の入れ方である。

 もし私が一夜にして大金持ちになったら、その金をつぎ込んで、あのエピソードだけをアニメにしたいと、本心から思う。
 
「合戦シーン」というのは、長い間、実写映画の世界で描かれてきた。特に、国家予算をつぎ込んで作られたソビエト映画の合戦シーンは、人的資源を無尽蔵につぎ込んで作られており、「戦争と平和」のナポレオン戦争に至ってはエキストラだけで数万人という規模である。

 実を言うと、ナウシカの土鬼との合戦シーンは、ソビエト映画の「イワン雷帝」のイメージが強く出ているように思える。おそらく、ナウシカを描いた時の宮崎氏の脳内に、あったイメージの根源の一つであろうと推察する。

 CGが発達し、無数の人間の集団を自由に動かせる時代となった今こそ、単なる「モブ」ではない、意志を持った軍勢として描き出した物語が見たいと思う。

 私の脳内にしか存在しない「合戦シーン」
 その迫力、その面白さを他人に伝える手段を、私は持っていない。映像を作る技術も人を雇う資本もない。
 私にできることは、それを文章で描き出し、「小説」として渡すことだけなのだ。

 小説というメデイアは、映像などのメディアに比べれば地味で、多くの人々に受け入れられるものではない。しかし、映像では描ききれない、もしくは描くには膨大な資本を必要とする題材。たとえばひとつの国家の興隆と滅亡、ひいては地球の滅亡まで、ほとんど資本の投下なしに描けるメディアである。

 そう考えると、メディアミックスの余地が無い私のコンテンツは、小説に特化しているだけなのかもしれない。

 

アカウントが判明しました。

一年以上放置していた、ブログが復活できた。

長い間放置していた理由は、so-net運営の方から「アカウントセキュリティが低いので切り替えてくれ」という通知が来ていたらしいのだが、メールが、なぜかスパム扱いになって、自動的に削除していたので、全く気が付かず、ある日を境に、ログインできなくなったためである。
 
 期限までに切り替えなければ、運営の方で強制的に以前のアカウントを停止し、新しいアカウントを配布する。ということだったらしいが、その時の新しいアカウントを、メモした紙を紛失し、以前のパソコンハードディスククラッシュしたためにメールデータも取り出せなくなり、仕事も忙しいし、プライベートでも色々あって、ブログのアカウントの復活、という仕事の優先順位が、どんどん後回しになっていったためである。

気がつけば「宇宙軍士官学校」も10巻になり、この3月24日には書店に並ぶことになった。

この「宇宙軍士官学校」については「俺、つええ! なキャラである有坂恵一が、宇宙空間で無双するよくある話」と言う方が結構いるらしいが、いわゆる少年マンガ的な「俺つええ!」なヒーローが戦う話とは、大きな違いがあるのだが、そのことに気がついている人はいないようだ。

その違いを、ひとことで言うと
「宇宙軍士官学校は、主人公のテンションと、勝負の勝敗に、何の関係もない」
という部分である。

 いわゆる「俺つええ!」的な構造を持つ物語は、主人公のテンションがすべてである。主人公がテンションを上げ、物語を引っ張っていくことで、超人的な力を発揮し、強大な敵に勝つ。というのが、セオリーである。
 いかに主人公のテンションを上げるか、に作者も、読者も関心が無くのである。

 だが、宇宙軍士官学校の物語構造はそうではない。主人公がテンションを上げようが、無双の腕前を持っていようが、勝つときは勝つし、負けるときは負けるのである。

 なぜこういう書き方をするのか。それは簡単な話で「宇宙軍士官学校」は戦争を描いているからであり、個人戦闘を描いているわけではないからである。

 「ルーデル」がいても、ドイツは負けたし、「シモ・ヘイヘ」がいても、フィンランドは勝てなかった。簡単に言ってしまえば、そういうことなのかもしれない。

 さて、ブログが復活したついでに、ちょっと文章について考えていることを書いてみようと思う。

 私は、読みやすい文章というものは、文章に含まれた情報量が、適量であるか、もしくは少し足りないくらいの
域に留まっている文章ではないか、と考えている。

 そんな抽象的なことを言われてもわからん、と言われるだろうから、少し例を挙げてみる。

 『机の上にバナナが置いてある』という情景を文章で描くとしたら、どう書くだろう。その情景の情報は
「机」「上」「バナナ」である。
 だが、これだけでは、原始人と会話しているようなものなので、文章にしてみよう

「机の上にバナナが置いてある」

 これで文章になった。だが、これは情報を文章にしただけで、味も素っ気もない。だが、それでも構わないのだ。読者に伝えたい情報が、それだけならば、これで十分なのだ。
 だが、これ以外に読者に伝えたい情報があるならば、この文章に言葉を足していくことになる。
「バナナが置かれている意味を読者に伝えたい時」
「誰が置いたのか、その人物の情報に広げたい時」
 そういう意図を持って、机の上に置かれたバナナを描くとすれば

「机の上に(ちょこんと)バナナが置いてある」
「机の上に(忘れ物のように、ちょこんと)バナナが置いてある」

といった形容詞で補うことになる。
この場合「ちょこん」というオノマトペは幼い感覚を読者に与えるので、バナナを置いていった人物の説明の意味も持つ。「忘れ物」という言葉から受けるイメージは「おっちょこちょい」「あわてもの」というものなので、合わせて使うと、それだけでバナナを置いていった人物のイメージを読者の中に作ることができる。

 机の上のバナナについて、こういった情報を補うと、読者の興味はどこにいくのか。それは「誰が置いたのか」という、バナナを置いた人物に興味が向く。
 向かなくても、少なくともここから、バナナを置いた人物の情報に記述が向かっても、読者は違和感を覚えない。そのまま受け入れてもらえるのだ。

 その人物のイメージはどんなものだろうか?
「年齢四十代半ば、体格ガッチリ、右目に黒い眼帯を施し、迷彩服を着て髭を生やし、腰にはガバメントが入ったホルスター」な人物が浮かぶ人はまずいないだろう。
 それを狙ってあえて逆を張ることもできるが、そういうのはあまりオススメしない。(笑
 順当に考えて、「ちょっとおっちょこちょいの、年下の女の子」というイメージではないだろうか。

 こういうことを書くと「読者はそんなこと考えてない」という人がよくいる。
 確かに、いちいちそこまで意識の上に浮かべる人間はいない。中にはいるかもしれないが、ほとんどは読み飛ばしているだろう。
 だが、その意識の上に浮かんでいない部分で、読者は文章を読み取っているのである。

 たったこれだけの文章で、印象が、ガラリと変わって、読みやすくなるわけではない。だが、こう言った細かい情報の積み重ねが、文章の読みやすさに繋がっていく。

 逆に言うならば、その無意識に受け取る情報が無駄に多いと、読者はお腹いっぱいになってしまうのだ。
 情報は、トランプの手札のようなものである。
 受け取った手札が読者の脳内で「役」を作れば、読者はそれを「ああ、これはこういうことか」と納得して手札から取り除くことができる。
 だが、情報、つまり手札が多いと、読者は持ちきれなくなる。印象が散漫になって、先を読む気が失われていくのである。

 ブログが復活したとはいえ、締め切りは相変わらずなので、定期的に更新することはできないだろうが、興味があれば、また覗きに着ていただけると嬉しい。

終了間際の「妙高」の車内で「とりめし」を食べる。

 なぜか、無性に駅弁が食べたくなるときがある。
 特に、仕事が詰まって、家から一歩も出ないで原稿を書いているときなどに、そうなる。

 私は鉄道マニアで、それも「乗り鉄」と呼ばれるタイプの人間で、列車に乗って駅弁を食うのが大好きな人種でもある。仕事が詰まって、列車に乗る時間が無いと、せめて駅弁だけでも。という感覚になるのだ。
 スーパーなどでやっている「駅弁フェア」で買った駅弁でも充分満足できるので、我ながら、結構単純な人間だと思っている。

 余談だが、スーパーやデパートで開催される「駅弁フェア」のような催し物は、秋から冬にかけて、のみ行われる。というのを御存知だろうか。
 駅弁は作ってから時間を置いて食べても美味しいように調理されている。それと同時に、時間を置いても痛みにくいように工夫されている。
 しかしそれでも、温度が高いところに置いておけば、食中毒の可能性は高くなる。
 そのため、一日の平均気温が二十度を超える季節は、駅弁大会は開かないのだ。
 ひと昔前より冷蔵技術が発達し、衛生管理が厳重になったとしても、駅弁を扱う業者さんは、気温の基準を守り続けている。

 料理にとって最も重要なことは、美味しさを追求することではない。安全であることだ。
 安全が追求できないのなら、いくら美味くともそれは料理として失格である。

 話が逸れた。
 余談が長くなるのは悪い癖である。【笑

 先日「宇宙軍士官学校・7」の原稿を入稿して、すぽん、と半日ほど時間が出来たのだが、ちょうどこの時間が出来た時と「駅弁食いたい時」が重なってしまった。
 脳内に浮かんだのは「高崎駅に行って、鳥めし弁当を買ってこよう!」という衝動だった。

 車を本庄早稲田駅前の駐車場に止めて、「たにがわ」で高崎に行き、「とりめし」を買って、ふと、時刻表を見ると、臨時の「あさま」が来るではないか。むくむくと、乗り鉄根性が沸き上がり、その場で長野まで特急券と乗車券を買って乗り込んでしまった。
 
 長野に到着して、在来線のホームを見ると、旧国鉄色の特急車両が止まっている。快速「妙高」である。
 碓氷峠が廃止になり、かつての信越線が第三セクター「しなの鉄道」となって、終わりを告げた、かつての特急「あさま」の車両が、余生を送っていたのが、この長野と直江津を結ぶ、快速「妙高」である。
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 時刻表を見ると、発車まで40分以上ある。車内清掃は終わり、自由に乗り降りできる状態で、ホームの止まっている「妙高」を見て、「そうだ、どうせなら、高崎駅で買った駅弁を、妙高の車内で食べよう!」と思い立った私は、停車中の妙高の車内に乗り込み、早速駅弁を広げた。
torimesi02.jpg
 特急あさまの車内で、何度も食べたことのある「とりめし」は高崎駅の駅弁業者「たかべん」が作っている。
 たかべん、の駅弁は、「だるま弁当」が有名だが、私は「とりめし」の方が好きである。

 鶏肉を入れた炊き込みご飯を使った「とりめし弁当」は戦前からあるもので、高崎以外にも、秋田県の大舘の「鶏めし」や、九州の鳥栖と折尾の「かしわめし」、名古屋の「名古屋コーチンとりめし」と言った、有名な駅弁が揃っている。
 
 大舘の「鶏めし」は有名で、先日大雪でトワイライトエクスプレスが、立ち往生したときに、乗客に配られたのが、この大館駅の「鶏めし」で、乗車していた鉄道マニアの中には、遅延してくれたおかげで、名物駅弁を食べることが出来た。と喜んだ人もいたらしい。
 
 またまた余談であるが。普通、駅で駅弁を売る業者は、一つか二つだが、東北地方の大きな駅には、駅弁業者が複数入っていることが多い。今はもう廃業してしまった業者も多いが、なぜ、駅が複数の駅弁業者を駅にいれているのかというと、今回の大雪で列車が立ち往生してしまったときなどに、食糧の確保をするために、常に複数の業者を確保して、大量の注文にも対応できるようにしていたからだ。という話がある。
 道路網が貧弱で、鉄道以外に交通手段が無かった時代。鉄道業務は非常時の乗客の食糧確保ということまで考えていたわけである。
 
 またまた話が外れた。 「とりめし」の話である。

「とりめし」「鳥めし」「鶏めし」「かしわめし」と、色々な呼び名があるが。「鶏飯」とかいて「けいはん」と呼ぶ料理もある。
 これは、駅弁ではない。奄美大島の名物料理である。
  白いご飯の上に、鶏のスープをかけて食べる、汁掛けめしの一種で、雰囲気としてはお茶漬けに近い。

 暦の上では三月といえば春であるが、まだまだ平均気温は低い。
 スーパーやデパートの「駅弁大会」も、まだ当分は楽しめそうだ。
 仕事が一段落するまでは、出掛けることも無く、スーパーの駅弁フェアを楽しみに生きて行こうと思っている。

「鶏飯」(けいはん)を食べてみたい、とお考えの方には、フリーズドライの商品がいくつか出ているので、ぜひ一度、試していただきたい。
 
 

 
 

 




宇宙軍士官学校7が出ます。

 2015年最初のブログである。
 昨年末に兄が死去して、ばたばたと後片付けや、各種の名義変更などで、気がついたら、年が変わって二ヶ月が過ぎようとしている。
 母と兄が住んでいた家は、静岡に父が建てた実家を売り払い、その代金でこの埼玉に新築した家で、いわば父の財産だ。父が死去したときに、私は相続放棄して、兄のものになった。
 そして一昨年母が死去し、昨年兄が死去して、唯一の肉親である私が相続することになった。
 母と兄が暮らしていた家の隣には、私の持ち家がある。警察官だった頃にローンを組んで買った建売だ。
 自分家があるからといって、兄と母の家を空き家にするわけにはいかない。 
 家というのは、風を通さないと、どんどん壊れていく。
 家は生き物のようなところがある

 余談だが、茅葺や藁葺き屋根の古い建物を保存するとき、欠かせないのが「囲炉裏で火を焚く」ことである。
 屋根になっている茅や藁は、常に囲炉裏の火と煙で、家の内側から燻されることで、長持ちするのだ。
 関東のとある市で、古い農家を移築し保存したのだが、古い家で火を燃やすなどとんでもない。万が一にも火災を出せば責任問題になると市役所が禁止してしまい。建物の保存には、必要なのだ。と説明しても役所が耳を貸さなかったため、屋根がどんどん腐って、結局五年ほどで、保存家屋が軒並み廃屋になってしまった。という事例があるそうだ。
 
 人が動き回り、台所で煮炊きをすることで、空気が動く。
 窓を開けていなくとも、その空気の動きがあるだけで、家の状態は大きく変わる。

 というわけで、兄が死去したあと、私一人で、兄と母の暮らしていた家で生活している。
 夕食と風呂は自分の家に戻るが、それ以外の仕事をしたり、寝るのは兄と母の家である。

 何のことは無い、家一軒、丸ごと仕事場である。
 
 この新しい仕事場で書き上げた一作目が、3月25日に早川書房から出版される【予定】の「宇宙軍士官学校・7」である。
 
 御存知の通り、宇宙軍士官学校はSF【スペオペ】である。その物語世界に登場するものの多くは、この世に存在しないものである。
 小説というのは、この、この世に存在しないものを、ビジュアルではなく、テキストで描き出し、読者の脳内にその概念と光景を思い浮かばせる技術を問われる作業である。
 ライトノベルのラブコメで「寝坊していると毎朝起しに来る、美少女の幼馴染」も、この世に存在しない、という点では同じだが、こっちの方が描き出すのは楽だと思う。

 それは過去に描かれてきた同じようなシチュエーションの蓄積があるからだ。
 読者の脳内には、アニメやマンガによって、同じようなシーンのビジュアルイメージが蓄積されている。
 作家はその蓄積された記憶を引っ張り出すフックを描くだけでいいのだ。

だが、SFはそうではない。SFの蓄積が無い人の方が多いかもしれないのだ。

 なぜ、そう思うのか、それは、私との共同執筆者である「銅大」(あかがね・だい)氏が先日出版した
 TRPG「エイジ・オブ・ギャラクシー」をプレイした次男の言葉による。
 大学でTRPGサークルに入っている次男が「エイジ・オブ・ギャラクシー」をプレイしたときに、GMとして
シチュエーションを上手く説明できなかった。というのだ。
 なぜできなかったのか、それは「SFのビジュアルイメージの引き出しが無かった」からだ。と言うのである。

 よくよく話を聞いて見ると、SFのビジュアルイメージの元となるコンテンツをほとんど見ていないのだ。
 スターウォーズも、スタートレックも、ほとんど見ていない。アニメでも、宇宙戦艦ヤマトはほとんど知らない。ガンダムを少し見た程度、ロボットの知識はゲームから。

 この状態で、宇宙戦闘とか宇宙海賊とか、超空間転移ゲートとか言われても、記憶の中からほとんど取り出せるモノが無いのである 
 
 宇宙戦艦は、毎朝起しにくる美少女の幼馴染の前に敗北しているのである。

 宇宙軍士官学校の原型は、私がずっと脳内で考えていた「人類戦記」という物語をジュヴナイルとして書いているもので、人類の末期戦が舞台となっている。
 ジュヴナイルとして描くことで、読みやすく、とっつきやすく、初めてSFを読む方にも、面白く読んでもらおう。新規読者を少しでも引っ張り込もう。という魂胆がある。
 
 少しでも読者が増えてくれれば、それは最前線で戦う兵士に届く補給物資のような効果があるはずだ。
 末期戦を戦う主人公達と同じように、私もまた、末期戦を戦っているのかもしれない【笑
 
 
 

 
 

兄(R2)が死去いたしました。

兄の葬儀が終わった。
私の兄は昭和29年8月生まれで、今年で60歳。還暦を迎えたばかりだった。

父は二十年前に、そして母は昨年他界した。
兄弟は兄と私の二人。そして兄がこの世を去り、後に残ったのは私一人になってしまった。

私の兄は、月刊アウトの編集者だった頃に「R2」の名前で、記事を書いていた。
立命館大学のSF研究会に所属し、その後月刊アウトの編集者となったのも、高校時代のSF仲間だった「C」さんがみのり書房にいた縁だった。
 
ガンダムが世に出て、アニメとSFが商売として大きく開花していくその創成期に、兄と私は立ち会っていた。

みのり書房退社後、普通の会社員として勤めながら、ニフティフォーラムの方で「花筏」のハンドルネームで、色々やっていたようだが、その頃のことは、私は良く知らない。

 その後、私が小説を書き始めた頃に、共に小説を書き始め、私は電撃大賞に応募し、兄は学研の歴史群像小説賞に応募した。
 そして私は「鷹見一幸」の名前で電撃文庫でデビューし、角川スニーカーで「でたまか」を書き始めたその頃。兄の書いた仮想戦記が編集さんの眼に留まり「大日本帝国第七艦隊」として出版されることになった。

 この頃から、小説は互いに書いたものを見せ合い、筆を入れ合いながら書くパターンが確立していた。
 つまり「鷹見一幸」のペンネームは、私と兄の合作の名前だったのだ。
「時空シリーズ」「でたまか」は私がメイン「大日本帝国第七艦隊」は兄がメインで執筆している。
 
 その後、紆余曲折を経て、兄はしばらく表立って執筆をしなくなった。
 プロットを練る時に、協力することはあっても、具体的に文章にすることが無くなった。
 そんな兄をもう一度作家に引き込んだのが、早川書房から来た「野田昌宏さんの銀河乞食軍団のリメイクを書きませんか?」という話だった。
 兄と二人でプロットを組み立て、設定を作り、文章の八割は兄、二割が私、という体制で執筆が始まった。
 
 だが、三巻を書き終わったあたりで、兄の体調が悪くなった。腎梗塞を発症したのだ。 腎臓の動脈に血栓が出来て片方の腎臓の機能が完全に失われた。
 数ヶ月に及ぶ入院生活の後、退院してきた兄は、なぜか全く小説が書けなくなっていた。

 これは、脳梗塞を発症した際にCTスキャンを撮影して判明したことだが、このとき、腎梗塞だけ無く、右脳の後ろ側にも梗塞を発症していたらしい。
 この部分は高次障害と呼ばれる、運動や言語などとは異なる部分の障害を発症する。

 退院してきた兄は、車の車庫入れができなくなっていた。
 普通に運転する分には何の問題もないのだが、鏡に映った映像から距離感を掴むことが出来なくなっていたのだ。
 車庫に車を入れようとして、柱や壁にバンパーをこすることが当たり前になって、車のバンパーは瞬く間に傷だらけになってしまった。
 そして、奇妙な事を言い出した。
「車のナンバーの三番目の数字だけが読めない」というのだ。
 目が悪くなったのかと思ったのだがそういうことではなく、どうやら文字列の認識がおかしくなり始めていたらしい。

 そして三年前。兄は越後湯沢のマンションで脳梗塞の発作を起こした。左半身の麻痺である。言葉は話せるが左の手足が動かない、というのだ。
 
 電話でその話を受けた私は即座に119番するように告げて、越後湯沢に向かって車を走らせた。
 兄は、六日町の病院に入院し、それから長い入院とリハビリが始まった。

 そして、リハビリを終えて退院してきた兄は、なんとか日常生活が出来るまで回復していたが、今度は、心労が祟って母が心臓発作で入院した。
 母の入院も数ヶ月に及び、退院してきた時には、かなり痴呆が進んでしまっていた。

 痴呆が進んだ母と、身障者となった兄だけで生活できるはずも無く、私が妻と交代で、兄と母の面倒をみることになった。

 ちょうど、山猫姫の12巻を書き始めた頃だった。

 そんな中で兄が今度は心筋炎を発症した。心臓が普通に鼓動を打つことができずに、通常の二倍から三倍近い頻度で脈を打つようになってしまったのだ。
 こうなるともはや血流を押し出すと言うよりも心臓が痙攣するのと同じ状態である。
 血流が滞ることから内臓が機能不全を起し、ましてや腎臓の片方が無いわけだから、体から水分が抜けず、肺に水が溜まるようになって、ベッドから起き上がることも難しくなってしまい、埼玉医大の国際センターに緊急入院したのが、去年の秋口だった。

 重篤状態にまで陥って、意識不明になったままの状態が数週間続き、この間に母が老衰で死去した。

 兄は入院中、母が死去、と言う状態で、母の葬儀を終え、兄が退院してきたのは、昨年の暮れだった。

 今までの兄が暮らしていた家では、とても生活できないということから、私の家と兄と母の家の間にあった、書庫を改造し、バリアフリー住宅に改築し、兄の住まいにした。

 それから一年間。兄は、天気の良い日には杖をついて近くのスーパーに買い物に行くほどまでに回復した。
 
 だが、11月に入ってから体調不良を訴えるようになり、22日に病院に連れて行ったところ、血糖値が500以上、ということで、緊急入院となった。

 最初は意識もあり、会話も出来たのだが、三日ほど過ぎてから熱が上がり意識が無くなった。
 解熱剤も抗生物質も効かないことから、再度CTスキャンを撮影したところ、新たな脳梗塞と、脳の中心部における出血が判明した。
 糖尿病から来る動脈硬化により、脳梗塞によって滞った血流が、もろくなった血管壁から出血を始めたのだ。
 出血は、体温調節を行う脳幹部に及んでいる可能性があり、高熱はそれが原因では無いか、とのことだった。

 体温調節を行う機能がある脳幹部は、呼吸などもコントロールする部位に近い。
 脳内出血が呼吸中枢に及べば、呼吸が止まる。

 この時点で、私は兄の死を覚悟した。

 医師から説明を受け、自宅に帰り、数時間過ぎた頃、携帯電話が鳴った。
 病院からだった。
「呼吸が止まりかけています、すぐに来てください」
 すぐに病院に向かった私の前で、兄はまだ呼吸を続けていた。
 それから十五分ほど過ぎた頃。血圧がさらに低下し、血圧計で計れないほどになった。
 そして、呼吸が止まり、心電図の波形が少しずつ緩慢になり、12月2日午後5時56分に、兄はこの世を去った。

 兄は独身で、妻や子供を残しているわけではない。
 こう言うと悪いが、結構行き当たりばったりで、その場その場でなんとかして生きてきたようなところがある。
 年金も、十二年以上未納付で、障害者年金ももらえない。
 健康保険も滞納していて、心筋炎で入院した時は全額私が立て替えた。
 晩年は収入も無く、母の年金で暮らしていたような状態だった。

 はっきり言って、私がすべての面倒を見てきたようなものだ。

 それでも、やはり、私は兄に生きていて欲しかった。
 
 兄が暮らしていた小住宅には、入院するまで向かっていたノートパソコンが、まだ、そのまま置いてあった。
 電源を入れて立ち上げた画面には、いくつもの文書ファイルが並んでいた。

 その、どれもが、書きかけの小説だった。

 更新の日付は、一年前のままで、ほとんど更新されていない、小説の書き出しとラフの群れを見て、思うのは。

 もし、兄に、心残りがあるとすれば、それは、この、世に出ぬままで終わってしまった物語なのかもしれない。ということだった。

 明日書こう。
 いつか、書こう。
 そのうち、書こう。

 もう、その言い訳は、やめよう。

 今日、書こう。
 今、書こう。
 書ける時に、書こう。

 明日が来る前に、明日が終わってしまうかもしれないのだから。
 

ミリタリ用語が通じない相手

艦これのノベライズを書いているわけだが、ゲラが戻ってくると、いつも苦労するのがミリタリ用語だ。
たとえば、形式名などで「九九式艦爆」と書くと校正さんから「九十九式ではありませんか?」というチェックが入って戻ってくる。
 こういう、一般の読み方、常識的な記述のやり方と、軍事用語の読み方、書き方は違うのだが、校正さんにそこまで要求するわけにもいかない。
 これ以外にも「直掩機」(ちょくえんき)とか「雷跡」(らいせき)とか「簿冊」(ぼさつ)とか
平成日本では、まず使わない単語が、ゴロゴロ出てくるのだが、海軍と陸軍とでは、読みが違っていたりして、これもまた厄介である。

 艦これは、ライトノベル読者向け、と割り切って、あまり難しい単語や、書き方をしないで、雰囲気だけを味わってもらえばいい、と割り切ったので、もっぱら校正さんの指示に従って、ゲラを戻している。

 正式な「呼称」よりも、わかりやすい概念を意味する言葉に書き換えることで、ミリタリに対する敷居を下げようというわけである。

 艦これ小説は、いわばミリタリっぽい概念の入り口であり、ミリタリは従である。
 震電改が存在し、それが艦載機になる世界で、正確さを追求するというのも、おかしな話であるわけで、そう考えると仮想戦記を書く際の「正確さ」へのこだわりを「艦これ」に持ち込むのは、さほど意味がない。
 艦これにおける史実、というのも、似たようなところがある。

もうすぐ「とある鎮守府の一日・2」が書店に並ぶ。
楽しみにして欲しい。

各種お知らせ事項

一年前の夏に、母の葬儀と、兄の大学病院ICUへの入院。などが重なった後、兄が退院後に生活するバリアフリーの小住宅の新築やら、各種手続きなどが重なり、執筆中だったシリーズものが、すべて延期になったのだが。
そのあと、スケジュールが重なりまくって、常に複数のシリーズを同時進行させつづけるという日々が続いている。

 当然、原稿執筆だけで生きているわけではないので、生活のための買い物や、自治会役員になっているので、町内会の行事などの時間が必要になる。
 となると、限られた時間のリソースの優先順位の最も低いところに「ブログの更新」が位置しているわけで、こう言うと何だが、定期更新しているわけでもなく、読者も付いていないブログなどを更新する時間と、文字を打つエネルギーがあれば、その文字数を原稿に使え、ということになる。

 というわけで、一年以上放置していたブログだが。今回、色々お知らせがあるので更新することになった。
 
 簡単に列挙する。

1・ウェブページ「雑家屋・鷹見商店」の閉鎖
  ソネットのHP「雑家屋鷹見商店」は完全に機能停止しているのと、メールフォームから、スパムメールが山のように届くようになってしまったので、思い切って閉鎖することとした。
 ブログはこのまま続ける予定なので、ウェブページのコンテンツは、形を変えて、このブログ上に公開するかもしれない。
 
2・時空のクロス・ロードシリーズの電子配信開始。
 私のデビュー作とそのシリーズである「時空のクロス・ロード」3冊。「新・時空のクロス・ロード」3冊、そして「時空のクロス・ロード 最終譚」の計7冊が角川の電子書籍から配信になった。

 http://bookwalker.jp/series/19484/

キンドルなどへの配信はいつになるかわからないが、おそらくそのうちに配信になると思う。
 
 電子書籍への許諾契約書はずっと前に印鑑を押したのだが、電子書籍になるという知らせはどこからも来なかった。14年前の本でとっくに絶版になっている本が電子化されたからといって、そんなことに関わっているヒマは無いのだろう。
 まあ、とにかく、これで、入手できるメドが出来たわけで、「絶版で手に入りません」と言うメールを送ってくれた方には朗報だと思う。
 
 この先の刊行予定は角川スニーカー文庫の「召喚主は家出猫・4」と「とある鎮守府の一日・2」「宇宙軍士官学校6」「一航戦出ます・3」となっている。
 年内に出るのを前提に執筆中なので、お待ちいただければ幸いである。 
  

宇宙軍士官学校を書きながら思うこと。

「宇宙軍士官学校」を早川書房で書くことになったのは、その前のシリーズである「銀河乞食軍団・黎明編」が、共同執筆者の兄の長期入院により、4巻の途中で中断していたのを引き継いで、何とか完結に持ち込んですぐのことだった。

 シリーズ途中で約一年の空白を作ってしまった私には、もう早川書房から話は来ないだろうと覚悟していたが、担当編集の込山さんから「次はオリジナルで書きませんか?」という話を戴いて、一も二も無く「書きます」と返事をしたわけである。

 銀河乞食軍団黎明編を書く前に、込山さんと「翻訳物のミリタリーSFは売れ行きがいい」
「日本でもああいったSFを出しても行けるのではないか?」と言う話をしたことがあるのだが、日本人の基礎教養には「軍事」に関するものが決定的に欠けているので、書くとするといわゆる仮想戦記のSF版になってしまうかもしれない。
 そういう「SF戦記」とは違う切り口で何か書けないだろうか?
 そういう話をしたことを覚えている。

 その後、しばらく、どんなSF戦記を書こうか色々考えたのだが。そのとき私の脳裏に浮かんでいたのは「末期戦」と言う文字だった。

 私が小学生の頃、何かでベルリン攻防戦のゼーロウ高地における対戦車戦闘に参加していた十五歳の少年兵の話を読んだことがある。

 リーダースダイジェストに抄訳が連載されていた「第三帝国の興亡」の中のエピソードだと思っていたのだが、完訳本を読むとその記述は無く、いったいどこで読んだのか、出所不明のエピソードなのだが、今でも覚えている。

 手記の主は、十五歳の少年で、ベルリンの下町に住んでいた。
 第二次世界大戦の末期に徴兵され、ほとんど訓練を受けることも無く、そのままベルリン防衛部隊に回され、ゼーロウ高地の対戦車陣地に配置された。
 対戦車砲は口径50ミリのPaK38である。
 配られた砲弾は十五発。そして、この陣地には、下士官も士官も配置されていなかった。
 砲を操作するのは、5名の15歳の少年兵だけだったそうだ。

 士官は、時々やってきて、色々な話をして、また去って行った。
 僕たちは、自分たちがどんな状況で、敵がどこまで来ているのか何も知らされていなかった。
 塹壕と陣地の中だけが、僕たちの世界だった。
 僕たちは、木の枝や草を持って来て砲を偽装した。
 遠くまで離れて、見えるか見えないか言い合って笑った。
 僕たちは戦争を知らなかった。戦争は僕たちとは違う世界で 行われている、ドラマチックなイベントみたいに考えていた。
 戦争が終われば家に帰れる、家に帰れば今までと同じ生活が続くのだと考えていた。
 スターリンのオルガンが、頭の上から降って来て、戦争は死と痛みと、絶望だと言うことを教えてくれるまで、僕たちは戦争とは無縁だった。
 
 戦争によって、無理やり大人にされていくこの少年兵の手記が、小学生だった私には衝撃的だった。
 元の手記が誰によって書かれたのか、何の本の一部なのか、今となってはわからないが、この部分だけは今でも私の記憶に残っている。

「宇宙軍士官学校」は、最初、もっとハードな、大人向けの書き方をするつもりだった。
 だが、書き始めて見るとどうにも、上手く行かないのだ。

 なぜ、上手く書けないのか。それを考えた私はひとつのことに思い当たった。
 私は、自分の脳内にあったこの「少年兵の手記」が書きたかったのだ、と……。

 そして私は書き方を変えた。ジュブナイルとして書き直したのだ。
 児童文学と同じ視点、書き方。それによって見えてくるものは、まさしく、私の記憶の中にある「少年兵の手記」そのものだった。

 私が書きたいのは、ビジネスのやり方をミリタリに例えた本でもなければ、派手な戦闘シーンだけが続くウォーモンガー礼賛の書でもない。

 片田舎で暮らして、地球だけが世界だと思っていた少年が、戦争の中に引っ張り出されて、無理やり大人にされていく悲しさ。

 これを書きたかったのだ、と気がついたのだ。
 その悲しさは個人のものであるのと同時に、人類全体のものでもある。

 そして、私は宇宙軍士官学校を書き始めた。
 人類は「末期戦」に駆り出されて行く少年兵である。

 「末期戦」とはどういうものなのか。
 戦場ではない、その後方でも、人材の枯渇により、多くの少年たちが、大人たちの代わりに職務についていた。
 太平洋戦争末期の国鉄では、わずか十五歳で蒸気機関車の機関助士として蒸気機関車で石炭を焚いていた人もいる。

 交通新聞社新書から出ている「15歳の機関助士」と言う本がある。
 太平洋戦争末期から終戦、戦後の混乱期を、蒸気機関車のカマ焚きとして勤め上げた方の手記である。
 空襲と、機銃掃射によって殉職者の出る中を、命がけで東海道本線を運転した機関士や、終戦のその日もいつもと同じように列車を運行させた人々の話は、鉄道と言うシステムが、どれほど多くの人々によって支えられていたのかを教えてくれる。

 鉄道に興味のない方もぜひ、一度お読みになっていただきたい本である。








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