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「ライトノベル」は褒め言葉である。

 世の中には面白い人たちがいる。
「ライトノベル」「ラノベ」を相手の支持するコンテンツを貶すための単語だと思っている人たちである。

「まるでライトノベルだ」というのは、褒め言葉である、と思っている私から見れば、実に面白い価値観である。

ライトノベルを「貶し言葉」として使う人間は、ライトノベルを読む読者をも貶めている。
 レベルの低い人間が読むものである。と考えている。
 その言葉の根底にあるのは「選民思想」である。

 我々は選ばれた優れた人間である。
 という根拠の無い自信から、その言葉は発せられる。

 しかし、実のところ、その根底にあるのは、単なる「好き嫌い」である。

 自分が嫌いなものが売れている。
 自分が低く評価したものが、多くの人間から評価された。

 こういう事態に直面したときに、こういう人は自分が間違っているとは思わない。
 間違っているのは、俺が嫌いなものを、有難がる、多くの人々である。
 彼らは、無知な大衆なのだ。
 だから、俺の言っていることがわからないのだ。
 まったく、馬鹿どもはどうしようもない。

 こうやって、多数を否定し、貶すことで自尊心を維持する。これが「選民思想」である。

 結局のところ、エンタティメントが、合うか合わないか、は、個人の趣味嗜好であり
言い換えれば好き嫌いでしかない。

「納豆なんか、人間の食うもんじゃない、あんな、腐った豆喜ぶのは変態か馬鹿だ」

 この言葉は、笑って許せる。納豆が嫌いな人なんだなあ。という感慨しか浮かばない。
 だが、この「納豆」を「ライトノベル」とか「SF」とか「ミステリ」に置き換えると、とたんに、どこかで聞いた言い回しになる【笑

 基本的に「ライトノベル」はエンタティメントである。娯楽であり、読者を楽しませるために書かれ、そして出版されている。

 エンタティメントにとって、正しい姿、目指すべきものは「より多くの客を獲得すること」であり、それ以外の目的は無い。

 笑いも感動も、読者に思考させ発見させ、知識を与えるのも、そのすべては、より多くの客を獲得するためにある。
 
 より多くの読者に面白さを与えるために、伝えるために作家は日々努力しているわけである。
 
 出版社は営利企業であり、商業出版は利益を生み出すために行われている。慈善事業でも採算度外視の同人活動でもない。
 商業出版の目的も、また「より多くの客を獲得すること」であり、編集さんは、そのために毎日作家を叱咤激励しているわけである。

 これを踏まえて「ライトノベル」を見れば。ライトノベルこそ、エンタティメントの正道であると言わざるを得ない。

 より多くの読者を獲得するために、文章は平易に、イラストを多用し、キャラクターの行動を前面に押し出し、少しでも面白くするために、手を買え品を買え、多くの作家が切磋琢磨している。
 
 そして何よりも、多くの読者に支持されている。
 ライトノベルは、多くの読者が、そこに価値を見出し、お金を払って読みたい、と思わせるコンテンツなのである。

 ライトノベルは褒め言葉である。


※追記(8月24日)

 なぜか知らないが、このブログが拡散されているようなので、追記をしておく。

「好き嫌い」は個人の基準である。

 という「常識」は書かなくてもわかると思うのだが、世の中にはそれすらわからない人がいるらしい【笑

 自分の「好き嫌い」が世間一般の普遍的な基準であると思い込む人には、どうやらそれが当たり前らしい。

 納豆が死ぬほど嫌いな人は、納豆を生産しているメーカーは、その人に嫌がらせをするために、毎日大量の納豆を生産しているに違いない。と思うのかもしれないが、
 納豆メーカーの方は、別にその人に嫌がらせをするために納豆を作っているわけではない。
 納豆が好きで、毎日食べたいと思う人のために作っているわけである。

 個人の好き嫌いは自由である。
 それを主張することも自由である。

 好き嫌いを「善・悪」とか「上等・下等」に当てはめるのも別に構わない。

 ただし「その人の中でなら」である。

 こう言えばご理解いただけるだろうか【笑


 ここは私のブログであり、最初から意見の刷り合わせも何もする意思は無い。ここは私が言いたいことを一方的に書いている一方通行の場所である。
 つまり、ここに書かれている文章にはすべて【私の中では】という単語がつく。

 ライトノベルは褒め言葉である【私の中では】

 ブラウザを閉じる権利は常に閲覧者の手にあることを申し添えておく。念のため【笑 

   

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