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「インダストリアルマニュアル文化」と「秘伝書文化」

 私の持っている「宝物【と書いてガラクタとルビを振る】」の中には、手錠や火縄銃といった品物だけでなく、いわゆる「古本・古雑誌」などに分類されるものもある。

 私がライターをしていた頃、1980年代の「月刊OUT」や「宇宙船」「スターログ」などは、間違いなく古雑誌であるが、そういういわゆるサブカルチャー雑誌以外にも、アメリカの銃関連の雑誌「ショットガン・マガジン」などもコレクションになっている。

 そんなものの中に、アメリカ陸軍の整備マニュアルの一種「P.S」がある。

 本来、整備マニュアルというのは、車両や機器それぞれに用意されているものだが、これは季節や気候の違う場所で、車両や機器を整備するときのちょっとした注意事項や、身近な知恵などをまとめた、小冊子である。
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 その中の一冊を例に挙げたが、表紙の絵を見てわかるとおり、これは「冬季に車両の整備をするときに注意すること」をまとめたもので、内容は、冬季用エンジンオイルの番号や、戦車や装甲車のバッテリーがあがったら、どうやって動かすのか。
 ブースターケーブルの使い方や、端子の位置などについて、イラストをふんだんに使って解説してある。
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 ちょっとしたコラムのような場所には「上級軍曹からのアドバイス」と題して「冬はピストルのホルスターの止め革が硬くなるので、良く揉んで、柔らかくしておくのだ」などという生活の豆知識、みたいなものがあったりして、面白い。
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 なんと言うか、読んでいるだけで、「こういうとき、どうすればいいのか」が頭の中に入ってくるような作り方なのだ。

 日本でも、最近は、たとえば自動車の取り扱い説明書などでは、図版が大量に使われていて、先日買い換えた長男のミラ・イースのマニュアルは、実にわかりやすかった。

 アメリカの軍用のマニュアルが、こういった「わかりやすいこと」を前提に作られている理由は、根底に、稼働率を上げることと、専門家でなくても、動かせること。というのが前提にあるからだと思う。

 車両の整備や機器の調整に関しては、様々なノウハウがある。
 その中には、職人芸のような、余人を持って換え難き能力を必要とする精緻な技術もある。

 だが、そんな神業が求められるケースは実に少ない。求められていることのほとんどは、誰でも何とかできるレベルの、実に敷居の低い技術である。

 こういう、いわば「裾野」の技術や知識を教えて覚えてもらうには、アメリカのマニュアルの作り方は最適だろう。

 しかし、日本では、長い間、こういった実務レベルのマニュアルを作ることができなかった。

 日本は、どうにもそういうやり方が不得手なのだ。これは、ひとえに、江戸時代の長い師弟文化が原因のような気がする。

 江戸時代の日本には、工場による大量生産という概念が無い。布も紙も糸も金属加工も、すべて師弟制度の職人たちが、家内制手工業で生産していた。工房はあっても、工場は無かったのだ。

 こういう文化で、作業手順を教えるとなれば、マニュアルなんてものは必要ない。「見て覚えろ、真似して覚えろ、仕事のノウハウは教わるものじゃない盗むものだ」という現在でも連綿と続く実務教育のやり方である。

 この「ノウハウの伝授は文書に残さない」と言うやり方は、たとえば、砲術の秘伝書などにも言える。
 
 砲術だから、当然火薬が必要になる。黒色火薬の配合について書かれているはずの「砲術秘伝書」には、肝心の部分はすべて。

 「口伝」【くでん】つまり「口で言って伝えたよ、だから書かないよ」という文字が並んでいたりするのだ。

 余談だが、この口伝は、時代劇でよく出てくる「免許皆伝」よりも上の奥義である。  
 剣術の道場などで剣術を学ぶ弟子を見て、師匠はそれぞれに、ランクをつけた、そのランクの最高位が「口伝」なのだ

 今の剣道で言うところの「段位」という概念は、江戸時代「切り紙、目録、印可、免許、皆伝、口決、口伝」というランクで呼ばれていた。

 ちなみに一番下の「切り紙」というのは、師匠が剣術の技や心構えを紙に書いて切って渡したことからこう呼ばれているらしい。
 全くの素人から剣術を始めて、そこそこ形になってきたあたりで、この「切り紙」がもらえるのだが、何も無いと、張り合いが無いので、剣術をやめてしまう。
 弟子に道場をやめられては、道場が成り立たないので、こういった目に見える「奥義の切れ端」を渡して「精進しろよ」と言うわけである【笑

 話を戻すと、日本では、技術を伝承する、というのは、こういった剣術道場や、職人の工房のようなものしかなかったわけである。

 その後、明治維新を迎え、日本にも工業化と工場大量生産の波が押し寄せたが、その形こそ取り入れたものの、肝心の技術の伝承と言うのは、こういった職人の師弟制度の延長でしかなかった。

 師弟制度は卓越した職人を作ることができる、しかし、大量生産大量消費の世の中が必要としていたのは、一握りの卓越した匠の職人ではなく、大量の、普通の技術者だったわけである。
 
 均一の規格化された製品を大量に生産し、それを維持管理するという業務で求められている技術と、個々それぞれに違う案件をそれぞれの業態に応じて処理する技術とは、根本的に違う。
  
 前者は米軍のマニュアルの世界。後者は剣術の免許皆伝の世界である。
 どっちが正しいわけでもどっちが劣っているわけでもない。求められているものが違うのである。

 これを同一の物として論じるのは愚か者だと私は思うのだ。


 
 
 

 

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