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県境の長いトンネルを抜けると青空だった。主観的宝物の話

 越後湯沢でのカンヅメ中だったが、急用ができたので、カンヅメを中止して埼玉の自宅に戻ることになった。
 越後湯沢は大雪である。
 電信柱もトランスの部分に雪が積もってなんだかよくわからない姿になるほどの大雪である。
yuzawa.jpg

 越後湯沢の駅のホームに立つと、足元には様々な表示が描かれている。
 上越新幹線で走っている新幹線車両のほとんどが二階建て車両で、いわゆる「MAXとき」とか「MAXたにがわ」と呼ばれる車両である。

 8両編成MAX、12両編成MAX、などと言う表示に混じって少し外れたところに「10両編成」とだけ書かれた表示がある。

 この10両編成は、二階建てではない新幹線。つまり旧型の200系と呼ばれる新幹線車両の停止位置を示している。
 
 この200系新幹線は、東海道山陽新幹線から消えた、初代新幹線、いわゆる0系の雰囲気を残す丸っこい先頭部を持っており、どこと無く懐かしい雰囲気がある。
200kei.jpg
 今日【正確には昨日】越後湯沢から乗ってきた「たにがわ」も、この200系だった。

 この時期はガーラ湯沢始発であるが、乗っている人もおらず、貸し切り状態だったが、高崎駅で、どっと乗り込んできた。
 越後湯沢と、東京を結ぶ「たにがわ」の役割は、高崎と東京を結ぶビジネス特急である。

 さて、本日も前回と同じく、私の主観的宝物を紹介しよう。

「旧東ドイツ秘密警察、シュタージが使用していた手錠」である。
kafu.jpg

写真デジカメではなく、スキャナで取り込んだもので、余白があるのは、位置を間違えたためである【笑
 もっとも、これは、私が譲って貰った相手がそう言っていただけで、本当にシュタージが使っていたかどうかは定かではない。
 
 ただ、刻印が「pollzei」【警察】となっているので、少なくとも東ドイツの警察で使用していたことに間違いはなさそうだ。

 以前、東ドイツのベルリンの国境警備隊の隊員だった人の手記を読んだことがある。

 ベルリンは東西を壁で隔てられ、その壁の東側には有刺鉄線と、もし壁に近づいたものがいれば、鳴り響く警報装置。足跡が残るように砂を敷き詰めた通路のような場所と地雷原。そして、人が入れば自動的に発射する機能のついた自動銃が取り付けられていた。

 これはすべて、東ドイツ側から西ドイツ側に逃亡を企てる者を阻止するためにつくられたものである。

 これらの装置は、東ドイツでは秘密でもなんでもなかった、逆に国外脱出を企てる国民を威嚇するために大々的に宣伝されていた。

 もし、お前らが逃げようと壁に近づけば、警報装置が鳴り響き、足跡はすぐに見つかり、足を踏み入れれば地雷が爆発し、それでも近づけば、監視兵がいなくても自動的に機関銃が発射され射殺されるのだ。と繰り返し映画や、写真で広報されていたのだ。

 現代の日本でも「機械警備」というものは存在する。いや、それが主流だと言ってもいい。
 しかし、この東ベルリンの機械警備システムとは大きく違う。
 日本の機械警備は、センサーだけが機械で、実際に現場に駆けつけるのは人間である。
 人間が判断し、人間が対処する。

 しかし、東ベルリンのシステムは違う。
 この機械警備は、人の匂いがしない。徹頭徹尾合理化され、逃げようとするものには容赦なく銃弾が撃ち込まれるのだ。

 これほど非人道的なシステムを発案したのは誰だろう? 私はずっと長い間疑問に思ってきた。
 これは、人間の情とかそういう次元とは全く違う、冷徹で合理的な、まさしくシステムとしか言いようの無い設備である。
 人間とは、これほどまでに、冷酷に、合理的になれるものだろうか?
 このシステムを考案し実現化した人間には血が通っているのだろうか?

 だが、東ベルリンの国境警備隊員の手記を読んだとき、私は驚いた。

 こういった機械警備システムや、足跡の残る砂の道や、自動射撃システムのほとんどを考案したのは、現場の国境警備隊員たちだったのだ。

 なぜ、彼らはこんなシステムを考案したのか。

 国外逃亡を図る人々が憎かったのだろうか? 許せなかったのだろうか?

 答えは違っていた。

 国境警備隊員たちは、国外逃亡を図る人たちを撃ちたくなかったのだ。
 自分の手で、その人々を撃ちたくなかったのである。

 警報装置も、砂の道も、自動射撃システムも。すべては「おねがいだからやめてくれ」という懇願にも似た思いから発案したのだと言うのだ。

 侵略者なら、進んで引き金を引く。祖国を守るためならためらいはしない。
 国境警備隊は、その為に存在する。
 
だが、東ドイツの国境警備隊の仕事は、外敵から祖国を守ることではなく、自分の国民を国外に逃がさないために。裏切り者を撃つのが仕事だったのだ。

 国境警備隊員のモチベーションは常に低かったそうだ。
 しかし、上官にそんな態度を見せるわけには行かない。政治将校に知られたらこっちの命が危ない。

 だから、国境警備隊員たちは、より厳重な警戒装置を発案し提案し続けたのだ。
「祖国に忠誠を誓う証し」として。
 何よりも、人を撃ちたくない、自分の国の人間を撃ちたくない、という思いから、彼らは発案し提案し続けた。

 ベルリンの壁に沿って設けられた、自動警報装置も砂の道も地雷原も、自動射撃装置も、そのすべてが、冷酷さの証しでも合理的なシステムでもなかったのだ。

 それは不合理な国家の中で生きる人々が、選ばざるを得なかった、実に生々しい人間の意志が込められたシステムだったのである。

 東ドイツの手錠を見て、私は思う。

 ――もし、私が、東ドイツの警官だったら。私はどんなことを考えただろうか……と。


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