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宇宙軍士官学校7が出ます。

 2015年最初のブログである。
 昨年末に兄が死去して、ばたばたと後片付けや、各種の名義変更などで、気がついたら、年が変わって二ヶ月が過ぎようとしている。
 母と兄が住んでいた家は、静岡に父が建てた実家を売り払い、その代金でこの埼玉に新築した家で、いわば父の財産だ。父が死去したときに、私は相続放棄して、兄のものになった。
 そして一昨年母が死去し、昨年兄が死去して、唯一の肉親である私が相続することになった。
 母と兄が暮らしていた家の隣には、私の持ち家がある。警察官だった頃にローンを組んで買った建売だ。
 自分家があるからといって、兄と母の家を空き家にするわけにはいかない。 
 家というのは、風を通さないと、どんどん壊れていく。
 家は生き物のようなところがある

 余談だが、茅葺や藁葺き屋根の古い建物を保存するとき、欠かせないのが「囲炉裏で火を焚く」ことである。
 屋根になっている茅や藁は、常に囲炉裏の火と煙で、家の内側から燻されることで、長持ちするのだ。
 関東のとある市で、古い農家を移築し保存したのだが、古い家で火を燃やすなどとんでもない。万が一にも火災を出せば責任問題になると市役所が禁止してしまい。建物の保存には、必要なのだ。と説明しても役所が耳を貸さなかったため、屋根がどんどん腐って、結局五年ほどで、保存家屋が軒並み廃屋になってしまった。という事例があるそうだ。
 
 人が動き回り、台所で煮炊きをすることで、空気が動く。
 窓を開けていなくとも、その空気の動きがあるだけで、家の状態は大きく変わる。

 というわけで、兄が死去したあと、私一人で、兄と母の暮らしていた家で生活している。
 夕食と風呂は自分の家に戻るが、それ以外の仕事をしたり、寝るのは兄と母の家である。

 何のことは無い、家一軒、丸ごと仕事場である。
 
 この新しい仕事場で書き上げた一作目が、3月25日に早川書房から出版される【予定】の「宇宙軍士官学校・7」である。
 
 御存知の通り、宇宙軍士官学校はSF【スペオペ】である。その物語世界に登場するものの多くは、この世に存在しないものである。
 小説というのは、この、この世に存在しないものを、ビジュアルではなく、テキストで描き出し、読者の脳内にその概念と光景を思い浮かばせる技術を問われる作業である。
 ライトノベルのラブコメで「寝坊していると毎朝起しに来る、美少女の幼馴染」も、この世に存在しない、という点では同じだが、こっちの方が描き出すのは楽だと思う。

 それは過去に描かれてきた同じようなシチュエーションの蓄積があるからだ。
 読者の脳内には、アニメやマンガによって、同じようなシーンのビジュアルイメージが蓄積されている。
 作家はその蓄積された記憶を引っ張り出すフックを描くだけでいいのだ。

だが、SFはそうではない。SFの蓄積が無い人の方が多いかもしれないのだ。

 なぜ、そう思うのか、それは、私との共同執筆者である「銅大」(あかがね・だい)氏が先日出版した
 TRPG「エイジ・オブ・ギャラクシー」をプレイした次男の言葉による。
 大学でTRPGサークルに入っている次男が「エイジ・オブ・ギャラクシー」をプレイしたときに、GMとして
シチュエーションを上手く説明できなかった。というのだ。
 なぜできなかったのか、それは「SFのビジュアルイメージの引き出しが無かった」からだ。と言うのである。

 よくよく話を聞いて見ると、SFのビジュアルイメージの元となるコンテンツをほとんど見ていないのだ。
 スターウォーズも、スタートレックも、ほとんど見ていない。アニメでも、宇宙戦艦ヤマトはほとんど知らない。ガンダムを少し見た程度、ロボットの知識はゲームから。

 この状態で、宇宙戦闘とか宇宙海賊とか、超空間転移ゲートとか言われても、記憶の中からほとんど取り出せるモノが無いのである 
 
 宇宙戦艦は、毎朝起しにくる美少女の幼馴染の前に敗北しているのである。

 宇宙軍士官学校の原型は、私がずっと脳内で考えていた「人類戦記」という物語をジュヴナイルとして書いているもので、人類の末期戦が舞台となっている。
 ジュヴナイルとして描くことで、読みやすく、とっつきやすく、初めてSFを読む方にも、面白く読んでもらおう。新規読者を少しでも引っ張り込もう。という魂胆がある。
 
 少しでも読者が増えてくれれば、それは最前線で戦う兵士に届く補給物資のような効果があるはずだ。
 末期戦を戦う主人公達と同じように、私もまた、末期戦を戦っているのかもしれない【笑
 
 
 

 
 

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