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鷹見一幸と榎野英彦について

ツィッターなどで、今でも「鷹見一幸は他人の話でデビューした」と言っている人を見かけることがある。
 
 まあ、そう思われたほうが色々楽だし、特段困ることも無いのだが、出版関係者の、いわば身内の方の中にもそう思っている方が見受けられるので、ちょいとネタばらしをしておこうかと思う。

 私が商業誌に名前を載せて仕事をしたのは、アニメ情報誌「月刊OUT」の臨時増刊号(1982年7月号臨時増刊号)「アニメ・パロディ・コミックス」掲載のアニメパロディ小説「大いなる挑戦」【イラスト ゆうきまさみ】である。
 
 このとき使ったのが「榎野 彦」(えのきの ひこ)というペンネームで、これはそれ以前から作画グループでマンガを描いているときに使っていたペンネームで、佐藤さとる氏の「コロボックル童話」の登場人物「エノキノヒコ」から来ている。

 その後、月刊OUT本誌や、別冊で小説だけでなく、パロディ企画や、人生相談ギャグコーナーなどを担当していたが、これもすべて「榎野 彦」名義で仕事をしている。

 これを書いていた当時、私は現役の警察官だったのだが、月刊OUTの副編集長に、実兄であるR2がいたので、稿料やそういう関係は、すべて兄の方で処理してもらい、私のところには入ってこないようにしてもらっていた。

 月刊OUTで仕事を始めると、やはり色々付き合いが広がっていく。
 その後は、月刊OUT以外の様々な仕事に名前を出さないように頼み込んで関わり続け、月刊OUTの編集長を退職した後に、樹想社を興したT氏のところで「こちら亀有公園前派出所」のムック本「カメダス」のライターをやったり、アニメや広告の企画に関わっていた。

「榎野英彦」を使い始めたのは、双葉社の雑誌「20世紀ブックス」で「アニメの中の名セリフ」などの企画をやり始めた頃で、このペンネームは兄が使っていた「柊野英彦」というペンネームと私の「榎野 彦」との合同ペンネームである。
 文章は私が書いているが、名義は兄である。

 その後は、友人のマンガ家さんのアイディア出しや、CMプランナーのブレインストーミングに参加したりしながら、これといって名前を出すことなくごく普通の警察官として勤務していた。
 
 そして40歳になったときに、友人のマンガ家が逝去したことを聞いた。
 彼は、東京にいた頃は有名なマンガ家さんのアシスタントをしていて、作画グループのつながりで知り合って、よくメシを食いに行ったり、バイクでツーリングをしたりしていた仲だった。
 その後、マンガ家として一本立ちした彼は、週刊連載を持ったりして、バリバリ書き始めた。
 忙しい中で彼に会った時、私は彼にこう言われた。
「あんたも、人のアイディア出しとか企画に関わるばっかりじゃなく、自分の名前で何か書けばいいのに。たとえ名前が残らなくても書いたものは残るんだからさ」
 私は、そのとき、何と答えたのか覚えていない。
 おそらく、笑ってごまかしたのではないかと思う。

 彼が死んだ。という知らせを聞いたとき、私が最初に思ったことは、お悔やみでも悲しみでもなかった。
 こう言うと不謹慎に取られるかもしれないが。私が最初に思ったのは。

 『もう、二度と彼の書く物語は読めないのか!』

 と言う衝撃だった。
 
 彼がアシスタント時代に、スケッチブックに書いていた魅力的なキャラクターたちも、居酒屋で語った波乱万丈の物語も、もう、二度とこの世に出ることは無いのだ。

 彼は彼の頭の中にあった、何千何百と言う物語を、何一つ世に出すことなく、この世を去ってしまったのだ。
 
 私は、それが悲しかった。彼の死よりも、彼の死によって物語が世に出ないことが悲しかった。
 
 そして、私は、40歳の年に、小説を書き始めた。
 パロディでもなんでもない、少年向けのちょっとSFっぽい、学校を要塞化して襲ってくる敵と戦うという物語だ。
 タイトルは「ピクニックは終末に」

 そして、書き上げたはいいものの、どこに送っていいのかわからなかった私は、知り合いのマンガ家さんとか、マンガの編集さんにその原稿を読んでもらい、どこに持ち込めばいいのか尋ねてみた。そして
「これなら電撃ゲーム小説大賞がいいんじゃないか?」
 と言うアドバイスを受けて、その年の電撃ゲーム小説大賞に送った。
 この当時は「電撃大賞」ではなく「電撃ゲーム小説大賞」だった。
 このときのペンネームが「榎野英彦」である。
 
 その後、私は本職の方が忙しくなり、月の半分近く家に帰れず、署の道場に布団を敷いて寝泊りするようなことが続き。気がつくと、大賞発表が過ぎていた。

 何の連絡も無かったし、ああ、ダメだったんだなあ。と思っていると、読んでもらったマンガ家さんから「あんたの小説、最終選考まで残ってたよ。惜しかったね。私の担当が角川に知り合いがいるから、会ってみないか?」と言われ、ダメで元々。と思って角川に行った。

 当時の角川書店は、今の本社ビルが建築中で市谷の駅前にある青いガラスのビルに間借りしていたのを覚えている。

 のこのこと、角川に顔を出すと、エレベーターホールで、顔見知りの編集さんにばったり出会った。
 当時、その編集さんは「ザ・ホラー」というホラー雑誌を担当しており、私が色々怪談のネタを持っているのを知っていたために、いきなり「あら久しぶり、あ、いい所で出会った。うちで今怪談の企画やったるんだけど、うちで書かない?」と仕事を振られた。

 怪談も面白そうだなあ、と思って話を聞こうとすると、そこにスニーカーの編集さんが来て。
「何やってるんですか?」
「え? いや、ライターさんに仕事頼んでたんだけど」
「ライター?」
「この人ライターさんでしょ?」
「いいえ、うちで書くかもしれない作家さんですけど」
「えー、作家になっちゃったの?」

 というコントのような会話をするハメになった。

 そして紆余曲折会って、メディアワークスから「ピクニックは終末に」は「時空のクロス・ロード ピクニックは終末に」として出版されることになったのだが、当時私は現職の警察官で、それも管理職だったので、さすがに、まずい。と言う話になった。

そこで考え出したのが「榎野英彦」から原案をもらった「鷹見一幸」が書いたということにしよう。間に架空の人物を一人挟み、名前も年齢も変えてしまえば、いいだろう。印税も振込先を変えて、そこから全額寄付して領収書をもらっておけば、もし、何かあっても、金銭の授受は無いことになる。

 と言う方法だった。
 かくして、この世に「鷹見一幸」が誕生したわけである。

 私は「榎野 彦」「榎野英彦」「邦 彦」「竹一本」「韮山 豊」などのペンネームで、色々なところで仕事をしてきたので、ペンネームにこだわるつもりは無かった。
「鷹見一幸」も、そんなに長く使うつもりは無かったのである。

 作家にしろライターにしろ、肝心なのは「書いたもの」である。
 「書いたもの」が面白くなければ、どんな名前をつけようと、その人間は認められない。
 逆に「書いたもの」が面白ければ、それはどんな名前でも通用する。

 はっきり言って、書いたのが人間でなくてもいいのである。コンピューターが書こうが、チンパンジーがタイプライターをランダムに打って出た文字列が、偶然文章になっていようと、その文章が面白ければ、その文章は価値を持つ。

 作家の正体が不明で、毎日、どこからともなく原稿が送られてきて、それをまとめて本にしたものであっても、その本が面白ければ、本は売れる。

 そう考えると、作家の名前に何の意味があるのだろう?【笑
 ましてや作家のパーソナリティなどに、意味を求める方が間違っていると思うのだ。

 鷹見一幸と言う名前は、私が小説を書く時の「仮面」の名前である。
 私は戸籍上の本名で生活しているし、それで何の不便も無い。
 
 作家はアイドルでもタレントでもない。作家は面白い小説を書くことが仕事であり、言い換えれば面白い小説だけ書ければ、それで仕事は終わりである。

 念のために言っておくが、これは「私がそう思う」というだけのことであり、「これが正しい」とか「お前らもこう思え」と主張するつもりは全く無い。

 私と違うように考え感じる人がいて当然である。その人の思想や価値観に異議を唱えるつもりは無い。
 
 ここは私のブログであり、ここで私が、私の思うところを書いた。
 ようはそれだけのことであるので、誤解無きように。【笑

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